三日坊主のコツコツ日記

コツコツが苦手な私が、ごくたま~に日々の記録をしたためるブログ。

デジタルとアナログ

主人には、ペンフレンドがいる。

月に1回程、日常のたわいもない事をハガキに書きポストへ投函する。

すると何日かして、その方から季節感のあるハガキに、返事が来る。

ポストに見慣れた文字を見ると、私もなんだか嬉しい気持ちになる。

そんなやり取りを、もう3年以上続けている。

 

主人とは逆に、私はというと 年賀状すらここ数年出していない。

子供の頃は、元旦のポストが楽しみで、寒い朝ポストまで取りに行った程だ。

それが、今では頂いた年賀状に返事を書いているだけのスタイルが定着している。

12月25日までに、ポストに投函して元旦に相手に届きますように・・・という気持ちが無くなってしまった。何故だろう…。

パソコンの普及と共に宛名まで印刷で済ませる方が増えている。一言、直筆で「お元気ですか?」ぐらいは書いて欲しいと思うが、それも無く ただ印刷だけの年賀状を見ると、「もう私に出さなくて良いですよ」という恐縮した気もちになる。

昔は、1年に1度 年賀状だけのやり取りをしているという友人もいた。

それはそれで、つかず離れすの関係が心地よかったりもした。

でも、近年はスマートフォンがあり、SNSの普及などで すぐに誰とでも連絡が取れる。相手の様子も投稿した写真などで目にする事も多くなった。

もはや、年賀状という昔ながらのやり取りが影をひそめつつあるような気がした。

昔は、住所を知られるのも嫌ではなかったが、今は少し懸念するし 相手に住所が変わった事を伝えるのも面倒だと思うようになった。SNSがあれば住所を知らせなくても良いのだから。

 

そして、最近書類の整理をしていると、年賀状の束がザクザク出てきた。

年ごとにまとめたり、宛先ごとにまとめたり、保管場所にも困る。かといって、捨てる事もできず、どうしたものかと思う。

年賀状だけではない。主人のペンフレンドからのハガキも、かなりの量が溜まってきてる。メールは、フォルダーに収まるだけで、場所は取らないが 紙媒体は場所を取る。

思い切って主人に言ってみた「ペンフレンドのハガキ、メールに変えてみたら?」主人の返事は、「どこに価値を見出すかは、人それぞれだから」確かに。

私は、物が少なくスッキリと整理整頓して暮らしたい。

主人は、多少散らかっていても、そういうアナログなやり取りを大切に思っている。

う~ん。分からなくもない。

私も、手紙が届くと嬉しい。でも、読んでしまった手紙をどうしようか?で悩む。

捨てられずに溜まる。う~ん悩ましい。

そして、最近 パソコンで文字を打つ事に慣れてしまい、ペンで紙に文字を書く事が下手になっている気がする。もはや、自分の字が好きではない(笑)

まぁ、人それぞれという事で…

私は、今後もアナログよりデジタル派で、主人はデジタルよりアナログ派なんだなーというだけの話なんだけどね。

とりあえず、手紙やはがきの束は 何とかしなくてはと思う。

一定の期間が過ぎたら、デジカメで撮影して捨てるのはどうかな?

デジタルとアナログが上手く手を取り合って、妥協点が見つかると良いな。

 

今世のカスタマイズ

「天は二物を与えず」ということわざ?があるが、二物どころか、3つも4つも兼ね備えている人を見ると、どんなカリキュラムで産まれてきたのだろうと考える事がある。

 

歌の上手い人は、そもそもの声が素敵だったり、いわゆる容姿端麗な人、ご家庭が裕福な事、ご家族が仲良く素敵だったり、天はなんと不公平なんだろうと思う事もある。

そんな事を考えていると、ふと思う事がある。

産まれる前に、次の自分の人生のカリキュラムをかなり綿密に設定しているのではないかと・・・。要は、カスタマイズである。

カスタマイズには、持ち点があり 前世の行いで持ち点が低い人もいれば、持ち点が高い人もいる。その持ち点を使って、顔はどんな顔で産まれたいか?美女は10点、普通は5点(笑)、声の美しさは10点、平凡は5点、音痴は2点。そんなカスタマイズが何千、何万とあって それを悩みながら決めるのである。

どこに持ち点を費やすのか?もともと、持ち点が少ない人は そこまで高望みできないかもしれない。

天が二物も三物も与えているような人は、きっと前世でかなり得を積んで 今世のカスタマイズをチョイスできる持ち点が多くあったのではないか?

 

そんな事を考えながら、今日も来世のために持ち点を貯めよう(徳を積もう)と思う

今日このごろでした…。

 

幸せの片付け

店舗と家の引越しをする事となり、かなりの物を処分した。

店舗の備品は、お客さんやお友達、家族にももらって頂いた。

なにせ、店舗と家の物の行き場が一箇所になるのだから、最低でも半分は処分しなくてはならなかった。本当に、大変だった。

そんな経験をしたせいか、物を購入する時に 処分する時の事も考えるようになった。

 

たとえばリングノート、使い終わったノートはリングを外し 使用済み部分はシュレッターなどにかける。通常のノートならば、そのまま資源ゴミまたは、燃えるゴミになるが、リングノートは リング部分を外し金属類のゴミ(またはアルミ?スチール?各自治体による)になる。今までの自分なら、デザインや値段だけで選んでいたが 後の処理が簡単か?も考慮するようになった。もちろん、処理の手間より欲しいという気持ちが勝るのならそちらを優先する時もある。もしくは、一生使うと心に誓ったものなど。

他にも、缶詰のトマト缶やツナ缶は、缶の処理に手間が多少かかる。開け口で手を切りそうな思いをしながら、缶詰の汚れを洗い パッケージの紙部分をはがし、アルミ缶回収の日に出す。それを思うと、10円高くても紙パックに入ったものを私は選んでしまうのです。要は、今のお得より後の楽を取っているのです。

 

あれ?片付けの話だったわ…

そうそう、こういう考えは、片付けの第一歩だと思うのです。

いや、第一歩というより、片付けをひと段落した人がたどり着く考えかもしれません。

あんなに大変な思いをして、処分しなくてはいけない物を処分した者だからこそ 物を増やす時は、後の事をよーく考えるのです。

 

ノベルティーなどの細々した物も、私はその場で「いりません」と受け取りません。

食品など使えるものや、必要と感じる物は有難く頂きますが、それ以外は受け取らないというのがベース。実家に行くと、粗品の山が捨てられずに鎮座している事があります。親世代は 、おまけとか粗品に弱い世代でしょうか?我々世代は、もう「粗品くれるならポイントおくれ」という感じになっていますね。

「いりません」と言える人が増えれば、粗品を出す企業も考えるでしょう。

余計な物や仕事は、そもそも受け入れない。

せっかく片付けても、出すものより入ってくるものが多ければ片付きません。

よーく考えて、我が家に受け入れる。自分のキャパを超えない。適度に出す。見直す。古いものは、引退させて 新たに新しいものを迎え入れる。お部屋の棚卸も必要です。常に我が家にある物達に目を配り、使ってあげましょう。それが物への愛だと思います。愛を注げる量に留めて、増やし過ぎない。これが、片付けへの近道だと思います。

 

辿りついた一汁一菜

結婚してから、いろいろな料理を作った。

(といっても、一般的な家庭料理)

朝食はパンが良いしら?夕食のおかずは、このぐらいかしら?

野菜は必須!お米は玄米が良いみたい。カロリー取り過ぎかしら?食べ過ぎ?

朝胃がもたれる?便通は良い? 家族の意見も取り入れ、試行錯誤してきた。

でも、最近やっと しっくりくる我が家の定番にたどり着いた。

それは、一汁一菜の夕食である。

冷蔵庫にある野菜をふんだんに入れた具沢山味噌汁に玄米というシンプルな食事。

そして、日替わりでタンパク質や脂質を取る。今までおかずとして食べてきたものだ。量は、具沢山味噌汁が両手をボールのように合わせたぐらいの量、そして玄米はゲンコツ程度(100グラム前後)、おかずは日によるが片手の手のひらに乗る程度。

お皿やお椀を決めてしまえば、それに入る量となるので目安になる。

 

朝食も定番、納豆1パック、玄米100g、味噌汁1杯、目玉焼き1つ。

あれば、おしんこや煮豆、ブロッコリーなどを添える。

週に1~2回(主に休みの日)は、ゆっくり手作りパンを頂く。

グルテンを控えているので、パンは時々。コーヒーとサラダや目玉焼きで頂く。

ジャムは付けない。良質な醗酵バターなどを少しつける事もある。

 

お昼は、特に決めずに 麺類やカレーなど 好きなものを食べる。

休みの日は、外食もするけれど ファストフードなどは極力食べない。

飲み物は、ブドウ糖果糖が入っていないもの。

おせんべいは、やめられないので 1日数枚程度にする。

クッキーやケーキなどは、あまり食べないけど お誕生日はOKにしている。

お菓子はできれば、添加物やショートニングが入っていないもの。

時々、おから蒸しパンを作って食べる。

チョコレートは、カカオ72%以上のものを1つぶ程度。

時々、手作り野菜ジュースを飲む。

 

いろいろ考えて辿り付いた、調理も楽で身体にも優しいマイルールである。

また、新たなブームが来るかもしれないけれど 少しこの一汁一菜で過ごしてみようと思う。

 

 

 

親の家のこと②

今回の帰省で、母より押し入れの寝具を整理してもらいたいとの要望があった。

押し入れは、片付けの攻略には持ってこいの場所。もう、高齢の両親が脚立に上って 荷物を取るのは危険なので、やっておきたい場所だった。

天袋には、使われていない箱に入ったバスタオルや。タオルケットなどが大量に出てきた。「今使っているのボロボロのバスタオルを処分して、このキレイなタオルを使えば?」と提案するも、ボロボロを捨てられないので そのまま保管で良いとの言い分。まぁ、それは良しとして…

更に、多く発掘したものは 布団に掛けるシーツ類である。掛け布団カバーと式布団カバーは、どちらも同じぐらいのサイズで分けるのに苦労する。しかも、新品が何個も出てくる。こんなにあるのに何故買うのか?「安い時に買っておくのよ」安いといっても、何百円の違い。しかも、薄っぺらい安物。「もっと、ちゃんとしたものを数枚持てば良いんじゃない?」うちの母だけかもしれないが、やたらと寝具を大切に保管している。誰も泊まりに来ないのに…。いや、泊めるスペースも 泊めるための寝具でいっぱいになっていて、本末転倒なのだ。

母は「いいのいいの、誰も泊まりに来ないから」…ならば、何故こんなにも寝具を大切に取っておくのだろうか?

父と母の現在使用している寝具の他に4人分は在庫している。やれやれ。

なんとか押し入れの寝具類の整理整頓と掃除を終えると、なんだか喉がイガイガしてきた・・・あ~マスクしなかったな~。きっと寝具にはダニや埃、いわゆるハウスダストがたくさんいて、きっと吸い込んだのだ。

水のような鼻水…もはや、アレルギー性鼻炎である。実家から我が家に帰ってきてからも、2週間程 このアレルギー症状は続いた。

万が一、どなた様かが泊まりに来て この寝具を使われたらと思うとゾッとする。

何のために、あんなにスペースを取ってまでも保管しているのだろうか…。

保管するのならば、時々干したり 布団用掃除機かけたりしないとダメなのにな~。

 

先日、ネットの記事で 実家に帰省すると子供が喘息の発作を起こすとか、私のようにアレルギー性鼻炎になって熱を出すとか、体調を崩す子供が多いらしい。

昔から、このような問題はあったのだろうか?

 

もう、実家の寝具には関わらないようにしよう。

母も今回の掃除で満足して、迷宮入りさせるだろうし。

両親が旅立った後、いつか私が捨てるのだろうと思った。

その執着って何だろう。私には無い。むしろ洗える布団が良い(笑)

目に見えないハウスダストの心地よい栖が、私の実家を占領している事は間違いない。

何はともあれ、掃除をする時は マスクが必須であると思いました(笑)反省。

 

親の家のこと

自分が育った家、今は親のみが暮らす家。

小さい頃は、親の価値観の中で生きていた自分も 世間に出て色々な価値観に出会うたびに、自分の親の価値観との違いに戸惑いながら成長してきた。

大人になって、自分の価値観を確立していくと 親の家(実家)に帰省した時に受けるショックが大きくなる。

同線の悪い継ぎ足しの家具配置、掃除の行き届かない埃の山、タバコのヤニ、なんとも言えない切ない気持ちになる。

手を出して片付けてあげたいけれど、兄には「余計な事はするな」と釘をさされている。両親は気にしない父と、気にはなるけれど どう片付けて良いか分からないという母。

帰省のたびに、場所を絞って母と片付けをするが、母も高齢なせいか?すぐに疲れてしまう。力仕事は私が全てやってはいても、必要か不要か?という判断をする事に疲れるらしい。

そもそも、必要か不要か?という判断をするような物が多すぎるのだ。

たとえば、切れないハサミAがあり 新しいハサミBを買う。普通は切れないハサミAはBを購入した時点で処分すれば良いが、シニア世代は「新しいBのハサミは家の中で使おう。切れにくいが処分するにはもったいないAのハサミは、外用にしよう」などと、切れないハサミの天下り先を探す。まぁ、それも良い。

さて、いずれメインで使っていたBのハサミも調子が悪くなる。すると新たにCのハサミを購入。さすがに当初からあったAの切れないハサミは処分するとおもいきや、更に天下り先を探し、どんどん物が増えていく。これがシニア世代の物が溢れる原因だ。

更に、処分をしないのに 購入頻度は上がる。なぜなら、どこへいったか分からなくなるからだ。こうして、家の便秘は解消されるどころか どんどん溜まって手がつけられなくなるのだ。更に、年齢を重ねるにつれ必要、不要の判断が面倒になり体力も無くなっていくのである。

 

親の家にいくたびに、自分はこうなるまいと心に誓うのだが いずれ自分もミイラ取りがミイラになるように、母のようになるのだろうか…。

いやいや、今のうちからミニマムな代謝の良い生活をすると改めて心に誓う毎年の帰省であった。

交際費をケチらない!

お金持ちは、交際費をケチらない!

そんな記事を読んだ事があります。

確かに、何かとお土産を買ってきてくれる人は皆 裕福な方が多い気がする。

裕福だからお土産にまわすお金があるのか?お土産を買う思考が 裕福を引き寄せているのか?

お土産に関わらず、ちょっとしたお礼やお祝い事、バレンタインや母の日など 常に誰かに渡すギフトの事を考えているのではないか?と思うぐらい気が利く人がいる。

かくいう夫の母は、裕福なご家庭のご出身で そういった事にはぬかりがない。

とはいえ、お金をジャブジャブ使う訳でもなく、お安く購入できる方法も考えている。

本当に尊敬でしかない。

 

私はというと、節約やミニマリストに共感を覚え 必要な物は最小限にと考えてしまうたちである。もちろん裕福な家庭の出身ではない。

結婚当初は、そんな価値観のギャップに苦労したものだけれど、俯瞰してみれば そのようにお金を使うことで、お金が回り 巡り巡って自分にもかえってくるのではないかと考えるようになった。

とはいえ、出かけるたびに お土産を何にするか?どこで買うか?誰に買うか?など 考えるのは、今の私には億劫で仕方がない。

食べ物ならまだしも、雑貨などは好みもあるだろうし そもそも自分の立場で考えた時 そこまで好みでない物をもらってしまったら、逆に困るのではないか?と。

相手にお返しを考える手間も与えてしまうのではないか?

でも、シンプルに何かを頂いて 悪い気持ちはしない。嬉しいという気持ちの方が勝るので、やはり贈り物はするべきだという結論に 今のところ落ち着いている。

だが、交際費の比率が高いのも事実。

林真理子さんの本に、「交際費を捻出するために 私は働く!」というような内容が書いてあった。

人は一人では生きていけない。年を取っても たくさんの人と交流をする事は、健康にも良いし、なにより幸せだと思う。

そのために…というと、なんだかイヤらしいがw、たくさんの人に幸せの種を蒔き、「情けは人のためならず」とは言ったもので、何年・何十年か先に花が咲くよう 大切な事なんだと腑に落ちている今日このごろでした。

 

皆さま、頑張って働きましょう!