三日坊主のコツコツ日記

コツコツが苦手な私が、ごくたま~に日々の記録をしたためるブログ。

家事という無限ループ

家事は、人が生きている限り 永遠に続く仕事である。

仕事というか、健康的な生活をするために かかせない事である。

特に、食事作り(買い物、保管、調理、洗い物)、洗濯(洗う、干す、畳む、しまう)、ゴミ捨て、掃除(トイレ、ふろ、洗面)、最低限これらは必須の家事だと思います。

長い連休であっても、お腹は減り、汗をかき、風呂に入り、排せつをする。

人間の生活に欠かせない事。

それらを気持ちよく行うためには、家事はとても大切な仕事です。

家事は365日休み無し。(手抜きDAYはあり)

 

基本、家事が好きな私は 特に大変だとは思いませんが

つい先日、体調が悪くなり 家事が億劫になった事がありました。

家事が滞ると、更に体調に響きます。

食事も適当になり、洗濯もたまり、まったく負のループ。

幸いにも2日程で復活し 元気になると、即座に洗濯機を4回ほど回し、寝具や着替えた衣類を洗濯、食事のストックも作り 掃除もして一安心。

健康と家事って、リンクしているんだな~と 家事ができる幸せを噛みしめるのでした。

これから年を取って、体調不良になって 家事がおっくうになったらどうしよう…。

ゆっくりでも良いから、死ぬまで自分の身の廻りの家事ができるよう 最低限の健康は維持していきたいものです。

 

家事(自炊)は立派は副業と言ってくれる人がいました。

外食やコンビニ弁当、インスタント食品では 身体が悲鳴をあげるのは時間の問題。

たかが家事、されど家事、家事代行を頼める人は そこにお金をかけても損はないと思います。

心の健康のためにも、身の回りをキレイに保ち、手作りでバランスの取れた食事をし、風呂に入り、キレイな衣類を着る。そして、しっかりと睡眠を取る。

これは本当に大切な事だと思う今日このごろでした。

 

ZOOMのミュートアイコンと文字について…

コロナ禍の在宅ワークで大活躍したZOOM。

どこからでも、顔を見てミーティングができる優れもの。

子供の頃、未来館?みたいな博物館で展示してあった、まさに画面の人との会話である。今やLINEでも、簡単にビデオ通話ができる時代。海外の人とだって、すぐに繋がれる。本当に便利な世の中だ。

まぁ、そんな事はさておき…

ZOOMの操作について いつも納得いかない事があるので書き記しておきたい。

ZOOMには、ミュートという機能がある。ミュートとは、マイクの声をオンにするかオフにするかという、とても単純な機能である。

ミーティングなどでは、発言している人はオン、聞いている人はオフにしておくことで 雑音が入らず、参加している皆さんが聞きやすい状態になる。

そのミュートについて納得いかない点がある。

それは、アイコンのマイクとそのアイコンの下に書いてある文字がリンクしていない事だ。普通の人は、「そんなのそう理解すれば良いだけの話」と思うかもしれない。

確かに、私もそう思う。ただ、私の脳が いつもワサワサするのだ(笑)

マイクのアイコンに赤い斜め線が入っている時は、こちらの声は聞こえない=ミュート状態である。でも、下の文字は「ミュート解除」と書いてある。

多分、今はミュート(マイクオフ)だけど、このアイコンを押すとミュート解除(マイクオン)にできるよ。という親切な文字だと思うが、脳がワサワサするのである。

アイコンだけ見れば、赤い斜め線があればオフ、なければオンと すんなり脳が反応するのだが、下の文字が邪魔してくるのである。

そこへきて、「ミュート」という今まで使った事のない言葉。更に脳がわちゃわちゃするのが自分でもわかる。

なんて、処理能力の無い脳なんだろう…と思いながら、いつもモヤモヤしているので、ここに書き記しておきたい。
どなたか一人でも、私と同じ感覚になる方がいて「そうそう、私もモヤモヤしてたのよ」という人がいれば幸いです。私だけかもしれませんが(笑)

 

 

過去の自分に喝!

最近、年を取ったせいか?昔の記憶が甦る。

どれも美しい思い出ならば良いが、私が思い出す事はどれも 反省と後悔の思い出だ。

若かりし自分、何故あんな対応をしたのだ。もっと上手く立ち回れなかったのか?友達との関係を、もっと円滑にできたであろうに…もっと、勉強に真剣に取り組むべきだった。もっと丁寧に学生生活を送るべきだった…。

今の自分の価値観で考える昔の自分は、どれも反省点ばかり。

きっと、当時の自分は その時の精一杯の自分を表現していたであろう。

その乖離が大きく、自分にとっての思い出というものは なんとも歯がゆい反省ばかりの思い出なのだ。

過去は変えられない。でも、今はどうにでもできる。

今の自分は、未来の自分に恥じない生き方をしているだろうか?

今の自分の精一杯で生きているつもりだが、未来の自分からすれば やはり反省点が多いのだろうか?

まぁ、良い捉え方をするならば 過去の自分よりも今の自分が成長しているという事だろうか?人生において、今日が一番若い日だ。今を精一杯生きよう。未来の自分に恥じをかかせないために…。

デジタルとアナログ

主人には、ペンフレンドがいる。

月に1回程、日常のたわいもない事をハガキに書きポストへ投函する。

すると何日かして、その方から季節感のあるハガキに、返事が来る。

ポストに見慣れた文字を見ると、私もなんだか嬉しい気持ちになる。

そんなやり取りを、もう3年以上続けている。

 

主人とは逆に、私はというと 年賀状すらここ数年出していない。

子供の頃は、元旦のポストが楽しみで、寒い朝ポストまで取りに行った程だ。

それが、今では頂いた年賀状に返事を書いているだけのスタイルが定着している。

12月25日までに、ポストに投函して元旦に相手に届きますように・・・という気持ちが無くなってしまった。何故だろう…。

パソコンの普及と共に宛名まで印刷で済ませる方が増えている。一言、直筆で「お元気ですか?」ぐらいは書いて欲しいと思うが、それも無く ただ印刷だけの年賀状を見ると、「もう私に出さなくて良いですよ」という恐縮した気もちになる。

昔は、1年に1度 年賀状だけのやり取りをしているという友人もいた。

それはそれで、つかず離れすの関係が心地よかったりもした。

でも、近年はスマートフォンがあり、SNSの普及などで すぐに誰とでも連絡が取れる。相手の様子も投稿した写真などで目にする事も多くなった。

もはや、年賀状という昔ながらのやり取りが影をひそめつつあるような気がした。

昔は、住所を知られるのも嫌ではなかったが、今は少し懸念するし 相手に住所が変わった事を伝えるのも面倒だと思うようになった。SNSがあれば住所を知らせなくても良いのだから。

 

そして、最近書類の整理をしていると、年賀状の束がザクザク出てきた。

年ごとにまとめたり、宛先ごとにまとめたり、保管場所にも困る。かといって、捨てる事もできず、どうしたものかと思う。

年賀状だけではない。主人のペンフレンドからのハガキも、かなりの量が溜まってきてる。メールは、フォルダーに収まるだけで、場所は取らないが 紙媒体は場所を取る。

思い切って主人に言ってみた「ペンフレンドのハガキ、メールに変えてみたら?」主人の返事は、「どこに価値を見出すかは、人それぞれだから」確かに。

私は、物が少なくスッキリと整理整頓して暮らしたい。

主人は、多少散らかっていても、そういうアナログなやり取りを大切に思っている。

う~ん。分からなくもない。

私も、手紙が届くと嬉しい。でも、読んでしまった手紙をどうしようか?で悩む。

捨てられずに溜まる。う~ん悩ましい。

そして、最近 パソコンで文字を打つ事に慣れてしまい、ペンで紙に文字を書く事が下手になっている気がする。もはや、自分の字が好きではない(笑)

まぁ、人それぞれという事で…

私は、今後もアナログよりデジタル派で、主人はデジタルよりアナログ派なんだなーというだけの話なんだけどね。

とりあえず、手紙やはがきの束は 何とかしなくてはと思う。

一定の期間が過ぎたら、デジカメで撮影して捨てるのはどうかな?

デジタルとアナログが上手く手を取り合って、妥協点が見つかると良いな。

 

今世のカスタマイズ

「天は二物を与えず」ということわざ?があるが、二物どころか、3つも4つも兼ね備えている人を見ると、どんなカリキュラムで産まれてきたのだろうと考える事がある。

 

歌の上手い人は、そもそもの声が素敵だったり、いわゆる容姿端麗な人、ご家庭が裕福な事、ご家族が仲良く素敵だったり、天はなんと不公平なんだろうと思う事もある。

そんな事を考えていると、ふと思う事がある。

産まれる前に、次の自分の人生のカリキュラムをかなり綿密に設定しているのではないかと・・・。要は、カスタマイズである。

カスタマイズには、持ち点があり 前世の行いで持ち点が低い人もいれば、持ち点が高い人もいる。その持ち点を使って、顔はどんな顔で産まれたいか?美女は10点、普通は5点(笑)、声の美しさは10点、平凡は5点、音痴は2点。そんなカスタマイズが何千、何万とあって それを悩みながら決めるのである。

どこに持ち点を費やすのか?もともと、持ち点が少ない人は そこまで高望みできないかもしれない。

天が二物も三物も与えているような人は、きっと前世でかなり得を積んで 今世のカスタマイズをチョイスできる持ち点が多くあったのではないか?

 

そんな事を考えながら、今日も来世のために持ち点を貯めよう(徳を積もう)と思う

今日このごろでした…。

 

幸せの片付け

店舗と家の引越しをする事となり、かなりの物を処分した。

店舗の備品は、お客さんやお友達、家族にももらって頂いた。

なにせ、店舗と家の物の行き場が一箇所になるのだから、最低でも半分は処分しなくてはならなかった。本当に、大変だった。

そんな経験をしたせいか、物を購入する時に 処分する時の事も考えるようになった。

 

たとえばリングノート、使い終わったノートはリングを外し 使用済み部分はシュレッターなどにかける。通常のノートならば、そのまま資源ゴミまたは、燃えるゴミになるが、リングノートは リング部分を外し金属類のゴミ(またはアルミ?スチール?各自治体による)になる。今までの自分なら、デザインや値段だけで選んでいたが 後の処理が簡単か?も考慮するようになった。もちろん、処理の手間より欲しいという気持ちが勝るのならそちらを優先する時もある。もしくは、一生使うと心に誓ったものなど。

他にも、缶詰のトマト缶やツナ缶は、缶の処理に手間が多少かかる。開け口で手を切りそうな思いをしながら、缶詰の汚れを洗い パッケージの紙部分をはがし、アルミ缶回収の日に出す。それを思うと、10円高くても紙パックに入ったものを私は選んでしまうのです。要は、今のお得より後の楽を取っているのです。

 

あれ?片付けの話だったわ…

そうそう、こういう考えは、片付けの第一歩だと思うのです。

いや、第一歩というより、片付けをひと段落した人がたどり着く考えかもしれません。

あんなに大変な思いをして、処分しなくてはいけない物を処分した者だからこそ 物を増やす時は、後の事をよーく考えるのです。

 

ノベルティーなどの細々した物も、私はその場で「いりません」と受け取りません。

食品など使えるものや、必要と感じる物は有難く頂きますが、それ以外は受け取らないというのがベース。実家に行くと、粗品の山が捨てられずに鎮座している事があります。親世代は 、おまけとか粗品に弱い世代でしょうか?我々世代は、もう「粗品くれるならポイントおくれ」という感じになっていますね。

「いりません」と言える人が増えれば、粗品を出す企業も考えるでしょう。

余計な物や仕事は、そもそも受け入れない。

せっかく片付けても、出すものより入ってくるものが多ければ片付きません。

よーく考えて、我が家に受け入れる。自分のキャパを超えない。適度に出す。見直す。古いものは、引退させて 新たに新しいものを迎え入れる。お部屋の棚卸も必要です。常に我が家にある物達に目を配り、使ってあげましょう。それが物への愛だと思います。愛を注げる量に留めて、増やし過ぎない。これが、片付けへの近道だと思います。

 

辿りついた一汁一菜

結婚してから、いろいろな料理を作った。

(といっても、一般的な家庭料理)

朝食はパンが良いしら?夕食のおかずは、このぐらいかしら?

野菜は必須!お米は玄米が良いみたい。カロリー取り過ぎかしら?食べ過ぎ?

朝胃がもたれる?便通は良い? 家族の意見も取り入れ、試行錯誤してきた。

でも、最近やっと しっくりくる我が家の定番にたどり着いた。

それは、一汁一菜の夕食である。

冷蔵庫にある野菜をふんだんに入れた具沢山味噌汁に玄米というシンプルな食事。

そして、日替わりでタンパク質や脂質を取る。今までおかずとして食べてきたものだ。量は、具沢山味噌汁が両手をボールのように合わせたぐらいの量、そして玄米はゲンコツ程度(100グラム前後)、おかずは日によるが片手の手のひらに乗る程度。

お皿やお椀を決めてしまえば、それに入る量となるので目安になる。

 

朝食も定番、納豆1パック、玄米100g、味噌汁1杯、目玉焼き1つ。

あれば、おしんこや煮豆、ブロッコリーなどを添える。

週に1~2回(主に休みの日)は、ゆっくり手作りパンを頂く。

グルテンを控えているので、パンは時々。コーヒーとサラダや目玉焼きで頂く。

ジャムは付けない。良質な醗酵バターなどを少しつける事もある。

 

お昼は、特に決めずに 麺類やカレーなど 好きなものを食べる。

休みの日は、外食もするけれど ファストフードなどは極力食べない。

飲み物は、ブドウ糖果糖が入っていないもの。

おせんべいは、やめられないので 1日数枚程度にする。

クッキーやケーキなどは、あまり食べないけど お誕生日はOKにしている。

お菓子はできれば、添加物やショートニングが入っていないもの。

時々、おから蒸しパンを作って食べる。

チョコレートは、カカオ72%以上のものを1つぶ程度。

時々、手作り野菜ジュースを飲む。

 

いろいろ考えて辿り付いた、調理も楽で身体にも優しいマイルールである。

また、新たなブームが来るかもしれないけれど 少しこの一汁一菜で過ごしてみようと思う。